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士農工商って身分制度っておかしいでしょ。

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士農工商って身分制度っておかしいでしょ。

江戸時代には士農工商という厳しい身分制度があって、厳しい階級制度によって、身分の低いものは、虐げられていたような捉えられ方をしていますが、そもそも士農工商などという身分制度もなければ、たとえあったとしても、身分によってどんな差別を受けていたのか聞いたこともない。士農工商って、そもそも身分制度じゃなく、ただの職能区分でしょ、確かに誰もが、簡単武士になれたわけではないけど、農工商っていうのは、単なる職業区分で、行ったり来たりは自由で、農業をやってる人間が、商売を始めることも、鍛冶屋になることも自由にできたわけで、流石に、農民が武家になるのは少しむずかいいけれど、幕末の、新選組の多くは、郷士と言われる、最下級の士分武士半分で、半分は農業でしょ。剣術好きが、手柄たてて、もっと上位に取り立ててもらいたくて、新選組に参加してるんでしょ。新選組に限らず、勤王の志士の多くも下級武士で、武士以外が、武士になるには、戦争や、社会が混乱じている中で、何らかの手柄をたてて、豪族や、大名に召し抱えてもらって、ロクをもらって、士分になったんだから、すわ、戦争だとなれば、出世のチャンス、また、年俸加増のチャンスだから、命の危険はあっても、我が身を励まし、家族に励まされ、尻叩かれて出ていったんだろうね。しかし、江戸時代は、大きな混乱もなく、太平の世の中だから、戦争も、戦乱もないので、幕府の侍も、大名の侍もみんな、加増のチャンスが、ほとんどなくて、戦国時代末期というか、江戸時代の最初期の給料のまま、300年から400年近く、同じ給料のままだったわけで、どう考えても、3・4百年も同じ収入で生きていくのは、難しいと言うより無理でしょ。逆に、全国どこの藩でも武士の、給料値上げ闘争みたいなものがなかったことが不思議なくらいでしょう。武家というのは、どれだけま貧しかったんだろうと気の毒になるほどだ。視界、どこの藩でも、家臣に家作と敷地を浄化に与えている場合が多く、家は粗末でも、結構広い敷地が与えられていたので、敷地内に畑を作って、性活の足しにしていたようだ、城下町が発達して賑やかな都市を形成している場合には、敷地の一部を、商家や医師などに賃貸するなど、様々な手段で、収入を得ていたようだ。私達が知らないだけで、武士は以外に副業上手だったのかもしれません。
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