私は障害者で、片手しか使えないので、お寿司は、片手で食べやすい食事です。お寿司が、片手で食べやすいのは、実は偶然ではありません。江戸時代のはじめ頃、江戸の街づくりが盛んで、そそこに、仕事を求めて、沢山の転入者が入ってきましたが、その中には、関が原を始め戦で傷ついた障害者がたくさんいたのですそんな労働者は、そんな人を対象にした、小さな屋台のファーストフード業も登場したのです。障害がありながら、労働者の多くは、禄にありつけなかった、浪人なども多く、江戸に仕事を求めて集まったのです、洗浄尚で、手早く食べられる、おむすびなどに慣れていた侍というか兵士にとっては、お寿司は馴染みの良い食事だったことでしょう。江戸前の魚もたくさん取れ、安くて手早く食べられる寿司は、食べる方にもありがたく、仕事を求めて江戸に出てきた、労働者にとって寿司の移動販売は格好の仕事だったでしょう、誰かが初めた仕事を真似しても問題の有る時代ではないし、二匹目のどじょう3匹目のドジョウもいるといった状況ではなかったでしょうか、江戸時代の初期は、街づくりのための、土木のような仕事がたくさんあり、しばらくすると、江戸に流入した人のための住まいづくりが盛んになり、大工仕事が盛んになり、その後は、大勢の住民おための仕事と途切れることなく仕事の有る大都市だったことでしょう。宵越しノェには持たないなどという言い方をしますが、これって、別な言い方をすれば、お金をためておく必要はないということで、日銭を稼ぐ仕事は、いつでも簡単にみつかって簡単に収入を得られたということでしょう。江戸の仕事は、やったもんがち、早いものがちで、なんでもありでしょう。江戸中に、水道が張り巡らしてあったけど、水道のない地区もあり、そんな地区には、水道からただで汲んだ水を売り歩く、水売りもいたのです。江戸落語には、今では思いつかない。仕事をしていた人がたくさんいたでしょう。